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相対化とは
物事を絶対視していると、安住していて心地良いこともあるのだが、視野狭窄あるいは袋小路に陥っている自分に気づかないことがある。こうならないように、物事にを相対化して、見る・つかむ・考察すること必要である。

鏡に映った自分の顔を見ている。そんな時、鏡の中の自分ばかり見ているのが絶対化。たとえば、それなりに乗車客がいる電車の中で一心不乱に化粧をしている自分を考える。鏡の中の自分の顔を見ることに熱中している自分がそこに居る。そいういう「鏡を見ている自分」を、周囲の環境(他人)とともにちょっと離れて眺めてみる。実際には、自分を離れて見ることは自分はできないのだが、周囲の環境とともに自分を撮影した映像を想像していみる、というのも一つの方法である。そうすると、他人の視線の中で、あるいは、他人や環境との係わり合い(関係性)の中で、鏡の中の自分に熱中している自分を考察することができる。つまり、周囲との関係性の中での自分を観察することができる。これが相対化だ。

ある教義や思想を相対化するというのは、その教義を信奉している自分を、その教義が影響を及ぼしている空間の外から観察してみる、ということである。これは、その教義とは違う教義を使って考えてみる、というのは違う行為であって、その教義とは違う教義を使って考えてみている自分そのものを、ある距離を置いてさらに観察してみるという相対的な行為である。

相対化している自分をさらに相対化して観察する、ということも可能である。で、その相対化している自分は何者なのか? 自分なのか他人なのか? たぶん自分なのだけど、でも自分じゃないよな、みたいなことを考えている自分とは何者なのか?(笑い)
| tomokazu2006 | 20:02 | - | - |
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