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自転車ツーキニストの作法
自転車ツーキニストの作法』 疋田 智(ソフトバンク新書新書 2010/10/18)¥798 3中古品¥520より

もう少し、深い考察が必要ではないだろうか。

障害者の多くは自力で自転車に乗れない。自転車をクルマがわりに乗りこなせるのは、健常者それも健康体どちらかといえば屈強者であろう。やわな人間では無理だ。

本書の最初にのほうに、こんなことが書いてある(p.22)。13年間、片道12kmの自転車通勤をしてきた(通勤先は赤坂)。最初の1年で17kgの減量に成功し健康になった。今は、引っ越して、片道5kmになった。ゆえに、通勤前に皇居を1周して、片道10kmを超す程度にしている。つまり、わざわざ回り道をして自転車に乗る距離を上積みしている。なぜなら、片道5km程度の自転車通勤だと、太ってしまうからである。

あのさ、健康とエコを本当に考えているなら、わざわざ回り道で通勤距離をかさ上げしてまで自転車通勤にこだわるんじゃなくて、ふつー、片道5kmの徒歩(あるいはジョギング)での通勤でしょうーが。著者はこの本で、“今の日本の道路では自転車に乗りにくいので乗りやすい道路に変えろ!”とさかんに書いているが、そもそも距離的に2倍以上の回り道までして自転車通勤しているのは「健康とエコ」的にはとても不自然で、主張の本来の趣旨から言えば、こういうのは書けばマイナス印象となることはあきらか。それに気づかず、つい、うっかり書いてしまっているのは、くだんの著者が自転車でスピード出すこと以外に関心が無くなっているからだと思います。自爆ですな。言いたいことは、“今の日本の道路ではスピードを出せないのでもっとスピードを出せる道路に変えろ!”ってことなんですかねぇ。

爆走自転車乗りさん、暴煙喫煙者さんどうようで、周りがちゃんと見えてないのかもしれない。「我々自転車乗り」と「我々煙草吸い」を入れ替えてみると、あら不思議。

「無意識のクルマ優先社会。だが、その結果、すべて弱者にしわ寄せがいっている。視覚障害者、車椅子、ベビーカー、高齢者、子供……これらの人々が自転車と一緒に狭い歩道に押し込められて、今日も事故の脅威にさらされている。みな、日本の道路行政の犠牲者である。そういうバカバカしい状況の中、では、我々自転車乗りたちと、社会システムは、どうあらねばならないのか。…(以下省略)」(p.12)

「無意識のキンエン優先社会。だが、その結果、すべて弱者にしわ寄せがいっている。視覚障害者、車椅子、ベビーカー、高齢者、子供……これらの人々が喫煙者と一緒に狭い空間に押し込められて、今日も副流煙の脅威にさらされている。みな、日本の環境行政の犠牲者である。そういうバカバカしい状況の中、では、我々煙草吸いたちと、社会システムは、どうあらねばならないのか。…(以下省略)」(これはひとむかし前の文脈だね)

禁煙優先社会を憂えた本としては、以下参照。

『禁煙ファシズムと戦う 』小谷野 敦、斎藤貴男、栗原 裕一郎(ベスト新書 2005/9)¥893 13中古品¥1より
『禁煙ファシズムと断固戦う!』小谷野 敦(ベスト新書 2009/10/9)¥720 7中古品¥107より

著者いわく、自転車による事故が多いのだそうだ。

「とんでもなく自転車事故の犠牲者が多い」(p.11)

「(前略)ロバート・ライシュの言う暴走する資本主義は、「暴走」だけに、もはや車輪の動きが止まらない。いったい、どうすればいいというのだろう。私は、とりあえず自転車にでも乗っているしかないと思っている。環境にもいいし、健康にもいい。(中略)あちこちでクルマが渋滞を起こしている。その横を自転車でパスしていく。渋滞というのは、本当に分かりやすい無駄だ、ガソリンの無駄で、時間の無駄で、労力の無駄、得られるものはゼロ。渋滞なんてものは、そもそもクルマが多すぎるから起きるのだ。こんなクルマばかりの社会は、どこか異常ではないかと感じる、ふと歩道側を見ると、そこには車椅子と高齢者、子供、そして自転車がひしめき合っている。これまた、たいへん奇妙な光景だと思う。」(p.274)

「○○・○○の言う暴走する自転車は、「暴走」だけに、もはや車輪の動きが止まらない。いったい、どうすればいいというのだろう。私は、とりあえず自転車から降りて歩くしかないと思っている。環境にもいいし、健康にもいい。(中略)あちこちで自転車が事故を起こしている。その横を徒歩でパスしていく。事故というのは、本当に分かりやすい無駄だ、体力の無駄で、時間の無駄で、労力の無駄、得られるものはゼロ。事故なんてものは、そもそも自転車が多すぎるから起きるのだ。こんな自転車事故ばかりの社会は、どこか異常ではないかと感じる、ふと歩道側を見ると、そこには車椅子と高齢者、子供、そして自転車がひしめき合っている。これまた、たいへん奇妙な光景だと思う。」

「ロバート・ライシュの言う暴走する資本主義は、「暴走」だけに、もはや車輪の動きが止まらない。いったい、どうすればいいというのだろう。私は、とりあえず歩くしかないと思っている。環境にもいいし、健康にもいい。(中略)あちこちで車両(軽車両)が渋滞や事故を起こしている。その横を徒歩でパスしていく。渋滞や事故というのは、本当に分かりやすい無駄だ、ガソリンの無駄で、体力の無駄で、時間の無駄で、労力の無駄、得られるものはゼロ。渋滞や事故なんてものは、そもそも車両が多すぎるから起きるのだ。こんな車両ばかりの社会は、どこか異常ではないかと感じる、車道側では車両がひしめき合っている、歩道側では、車椅子と高齢者、子供、そして自転車がひしめき合っている。これまた、たいへん奇妙な光景だと思う。」

自転車は車両(軽車両)です。

「ママチャリ」を目の敵(かたき)にする著者。

「ママチャリはエコでも健康でもないという残念な事実」(p.129)
「スピードが出ず、長い距離を走れないママチャリは、クルマの代替になりえない」(p.129)
「ママチャリを発展途上国に送るべし」(p.129)

そんなやっかいなものを送られた「発展途上国」とやらも迷惑だと思う。

「「車道を走る自転車は危ない」と言う人 これまた、本来「危ないのはおまえらのクルマだ、ボケ」と言うだけで終えるべき話なんだけど…(以下省略)」(p.193)

自転車をクルマの代替として車道運転している人は、やっぱり物言いが一味違うなあ。

「現在の自転車撤去の予算を駐車場予算に回せば、ほとんどの場合、駐輪施設など最終的にはできてしまうのだ。」(p.157)

自転車をやめれば、駐輪施設はなくていい。

「タマランのは、そのいちいちの自転車が、まったくルールも、マナーも、いや、それ以前の、いわば交通常識と言えることすら守っていないという事実だ。(中略)何も見えていないし、恐らく考えていることは、自分の都合だけ、だ。周囲にとって、その行為がどんなに危ないかにまったく考えが及ばない。悪いけど、私は「ここは中国か」と思った。」(p.212)

「ここは中国か」っていうのは余計だけど、まあ、確かに、自転車に乗っている人の中にも、そうじゃない人の中にも、「考えていることは自分の都合だけ」っていう人が居るのは、当たっていると思う。

ちなみに、僕の実感から言うと、迷惑度は、

自動車>暴煙喫煙者>やさしい喫煙者>爆走自転車>やさしい自転車>歩行者、ってとこですかね。
| tomokazu2006 | 23:15 | - | - |
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