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3.11と8.15
3.11が何かの類似であるという指摘はいくつかあるが、僕が思うのが8.15との類似である。2011.3.11と1945.8.15の類似。この60年ほど隔たった歴史的な事象の似ているところを考えてみたい。

・権勢を誇っていた国家的事業がその日を境に「失敗」だっと喧伝されるようになった。
・それ以前の少数的反対派は、それ以後社会的評価が急激に高まるが(ええ?そんな人が居たんだみたいな驚き)、多数派になることがない。
・当初は、叩きやすい層がボコボコにされてしばしの憂さ晴らしが国民的に行なわれるが、その後くだぐた議論するうちに「やっぱり国民みんなに責任があったんだ」という空気が蔓延してしまい、国家的な責任追及が弱まってしまう。

8.15では、国家的事業の中心であった帝国軍隊は8.15以降に根絶されたわけではなく、守旧メンバーと共に変質して存続している(自衛隊として)。これの類似がまた現れるとすれば、原子力発電所もその守旧メンバーと共に変質して存続することになる。つまり、廃炉が決定しても、廃炉作業と放射性廃棄物の管理事業(これも国家的事業であろう)が50年、100年に渡って維持されざるを得ないということである。

8.15以降、その反省が力になったのであろうが、日本は奇跡的な復興を果たしたと言われる。さて、3.11の反省が、再びの奇跡的な復興の力になりえるのだろうか。
| tomokazu2006 | 20:29 | - | - |
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