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俺のことが話題になってやんの(笑い)
数か月に1回くらいの感じで、数冊〜10冊規模で、まとめてメールで「小口研磨」の問い合わせしてます、アマゾンのマーケットプレイスでの古本購入。出品者さんからの返信メールの内容には、それなりにバラエティーがあって興味深い。返信が来るのは6〜8割だけど、1アイテムにつき、5〜15出品者あてにコピペで問い合わせメール出すので、10冊くらいの購入だと、けっこうな受信数になりますね(100通くらい)。中には、差出人のアドレスや名前がアマゾン登録と違っていて、さらに、書名もメール中に書いてないので、どの本についての回答なのか分からないという「宙に浮いた回答」というのもあるんですよ。回答、いろいろなんです。

ちょっと気になって、www.google.co.jp"小口研磨 神経質"で検索してみたら、こんなん見つけました。

http://tulip5.blog62.fc2.com/blog-entry-258.html
今朝はメールチェックすると、アマゾンで問い合わせが来ていました。ある本についてですが、小口研磨はしてあるか、という問い合わせでした。その方は、少々汚れがあったり、傷みがあったりしてもいいけど、小口研磨は嫌なのだそうです。最近は普通の本屋でも小口研磨した本が並んでたりするので、気になると言う事です。写真付きでの問い合わせでした。幸いうちの出品物は小口研磨はありませんでしたのでその旨ご連絡しましたが・・・、購入には至ってませんね。

あっ、俺のことだ…(笑い)、すみません、購入しなくて…。複数の出品者から返信受けてて、状態が良くて安価なものを選んで注文してるんです。沢山問い合わせメール出して、沢山の回答を受信しているんです。
この記事には同業者さんからのコメントも付いていて、

以前私のところに来たのと同じです。 神経質な方のようでしたので、確認もせず研磨あとありとの返答をしました。 購入後のトラブルは避けたいので、お断りしました。 返答しないのもトラブルになります。 発行日を教えて欲しいとのメールは結構来ますが、無視します。 しかし、繰り返し聞いてくる場合、仕方なく返答します。 できれば、大きな心の方に購入してもらいたいです。

うーむ、「確認もせず研磨あとありとの返答をしました」ですか。まあ、そういう出品者もおられるということで…。僕のほうだって、回答メールにいちいちお礼の返信はしないので、お互い様ってことですよね。そうですね、沢山受け取るの回答メールの中で、メールの行間からなんとなく感じるものがあるんですよね、「神経質な方、お断り」みたいな雰囲気を…。出品者さんにとっては、出品の数が多いと、いちいち調べるのも面倒だし、離れたところで保管している商品かもしれないし、回答したからと言って必ず購入にいたるわけでもないしね。その気持ちは分かります。実際、僕は、小口研磨に関しては、神経質だという自覚があるし、小口研磨については思いっきり意見を持ってるし…。

思うに、自分の商品が研磨本な場合は、回答メールは出さなくてもいいんですよね。だって、問い合わせメールには研磨本は嫌ですって書いてあって、暗に研磨本は買わないって言ってるわけだから、質問に回答しても質問者は研磨本は買わないんです。そんな質問者に返信メール出したって買ってはくれないわけですよね。そんな中で、「今検品したところ残念ですが研磨本です」って回答していただける出品者さんって、どんだけ善意で親切でやさしいんだろう、って思いますね。多数派は、そんなやさしい出品者さんですね。

マーケットプレイスの商品説明って、ほんと不親切で、商品の状態がよく分からないことがほとんどで、何度か利用していると、

「ちょっと高くても、問い合わせしてちゃんとした回答をいただいた出品者さんから買おう」

っていう気になるんですよね。そのこまめな問い合わせの結果、小口研磨のない綺麗な本を1円(実は341円)で購入したことが何回もありますし…。急ぎでなければ、問い合わせしてどの出品者から購入するか決める、っていうのは、もう、マケプレ利用の常識(僕にとって)なってますね。

で、善意でやさしい出品者さんからは、こんな回答メールをいただきます。

・小口研磨の件を知らなかった。教えてくれてありがとう。
・画像を見れたので分かりやすい、こちらも出品本の画像を添付した。画像で判断を。
・小口研磨のない新品同様の綺麗な本ですので、ぜひともお買い上げください。
・商品受領後、不満であれば、すぐに全額返金いたします。送った商品はそちらで処分してください。

マケプレでの事前問い合わせメールって、めんどうだけど、地道にやっていると、いつか良い古本が購入できます。急ぎでなければ、これ、おすすめです。僕の場合は、1つの本で1円〜500円くらいまでの出品が20くらいあるとすると、その20出品者すべてに問い合わせメールを出します。コピペしてメールクリックするだけなんで、1通出すのに30秒かかりません(念のため本文に書名と出品者様名をコピペしたりする)。で、何度か実行して分かったのが、

・コンディション「非常に良い」連発だけど、回答の無い大手出品者
・アマゾン発送ものは、回答が来ない(できない)。

というのが典型で、アマゾン当局を筆頭に「基本的に回答しない」出品者がおられます。まあ、そういうのはあって当然ですけけど…。めんどくせー、ってやつでね。アマゾン発送ものは、ブツが既にアマゾン倉庫に行っちゃっているので、現物の状態を確認しようがないんですよね(アマゾン倉庫まで行くしかない)。そういう出品については、聞くだけ無駄なので、憶えていれば問い合わせもしないし注文もしません。こちらは、アマゾン新品の小口研磨本が気に入らなくて事前問い合わせしているわけで、アマゾン流のノリは駄目ですよん。そうじゃない独立系出品者さん、デフォルトで表示されているコンディション内容があきらかに悪いものじゃなければ、おおかたの出品者に問い合わせメール出しちゃいます。

そんなこんなで、良い出品者(の本)が見つかれば、メールを引用して注文を出します。納品後、回答内容と異なったものだったら、受け取り辞退で返品し全額返金してもらいます。

ところで、神経質かどうかですが、僕は、以前に買った本のことを忘れて、同じ本をだぶって買ってしまうことがもう何年も渡って根絶できてないです。そういうのは、神経質とは対称的な無神経で鈍感でずぼらな結果だと思う。だって、対策をいくつか講じながらも、ずぼらな性格ゆえ、めんどうだからと対策プロセスがまっとうに継続できてないんだよね。神経質な部分とずぼらな部分の性格的同居ってやつだよねぇ。
| tomokazu2006 | 20:54 | - | - |
大阪屋のサイトは僕の注文を受け付けない
電話(たまにファックス)で本を注文している近場の本屋さんがあるんだけど、そこへの配本は大阪屋(取次ぎ)。調べてみたら、大阪屋は注文サイトを公開していて(www.osakaya.co.jp)、そのサイトで会員登録して注文すると、僕が利用している近場の書店で注文本を受け取れるということ。これはちょっと便利かもと、先日とある新刊本(アマゾンで販売中なのを確認済み)を注文しようとしたら

「現在、発注を受け付けておりません」

と出た。なんだこりゃ、と思って、他のページを読んでみると、これだ。

http://www.osakaya.co.jp/kaiin/qa.html
Q:発売直後の新刊で、検索はできるのですがまだ注文できない本があります。毎日検索するのは面倒なので予約はできませんでしょうか?
A:あいにく予約のしくみはございません。卸売りという弊社の性格上、刊行直後の新刊は在庫薄になりがちで、「本の問屋さん」で取扱いできるまでに約1カ月かかります。また、商品によっては在庫を持たない場合もございます。

「約1カ月」ってどんだけなんだよ。やる気なしってことだよね。駄目だこりゃ。大阪屋の注文サイトは使いものにならない。そういえば、大阪屋サイト、感触というかサイトデザインというか、なんか古い。ひょっとして、ここはもう終わっているのか?

ということで、ネット注文はあきらめて、従来どおり、電話やら店頭やらで注文するわけだけど、で、その僕の注文は大阪屋へ行っているわけで、店員が大阪屋へ伝言しているわけで…、うーむ、この時代、いつまでこんな手間のかかることやっているだろう? 大阪屋がこんなんなら、受け取り書店がちょっと遠くなるけど、www.honya-town.co.jp(日販)のほうを利用しちゃおうかなあ。それにしても、客逃がしてどうすんだぁ、大阪屋。アマゾン? 僕がアマゾンで新刊をあんまり注文しないのは、領収書の形式が気に入らないためでがんす。
| tomokazu2006 | 20:07 | - | - |
電子書籍の衝撃
『電子書籍の衝撃』(佐々木俊尚 ディスカヴァー携書 発売日2010/4/15)

4月16日に東京に行ったおり、丸善丸の内の店内端末機にて、上記の本を検索したが…無し。帰ってから大阪屋のサイトで注文しようと検索したが…無し。なぜだ?

4月26日現在、

丸善:http://zaiko.maruzen.co.jp/
大阪屋:http://www.osakaya.co.jp/

の両方において、取り扱ってないと受け取れるようなインフォメーションが出てくる(在庫無しとは違うような感じ)。なぜだ? http://www.amazon.co.jp/には当初から在庫ありだが、amazonで注文はしない(領収書の形式が気に入らんというささいな理由)。

4月23日に東京に行ったおり、池袋のジュンク堂書店にあったので(ネットで在庫を確認して出向いた)、購入。内容は予想通り面白い。

発行に先立って、出版元が「「電子書籍の衝撃」電子書籍版を先着1万件限定110円で販売した」というのは知っていたけど、僕は、紙のやつが欲しかったので…。でも、110円っていうのは安くていいよね。20曲くらい入っているアルバム新譜もこのくらいの値段なら、ばんばん買うのにな(何年か新譜CDを買ってないなあ)。でも、この本の110円って、期間限定かいな。ということは、楽曲販売で先行プロモーションビデオ(PV)をネットに流すようなもんだね。で、その110円販売、料金のクレジット決済をやらせていたサイトの容量が細くて、いきなりシステムダウンだったとのこと。110円じゃなくて、プロモーションなんだから無料でやっちゃえば、サイトの構造がシンプルにできたのに…。

値段と言えば、ディスカヴァー携書のこれ(紙のほう)は、新書版で1150円だ。「ディスカヴァー携書」は新書版のシリーズで2007年2月創刊の新規参入組だが(「「婚活」時代」山田昌弘・白河桃子がベストセラー)、価格が軒並み1050円で、新書としては高価格だと感じる(新書のメジャーどころは800円前後)。「電子書籍の衝撃」はそれらよりちょっとページ数が多いので1150円とちょっと価格を上げたように思える。実際、手にとってみると、多くの新書よりはページ数が多いし、字も小さいほうで、これはハードカバーの単行本で出しても、内容的にもページ数的にも不自然じゃないくらいの中身だと感じた。ゆえに、新書だけど1150円というのは、紙の本としてはこのくらいの値段が普通だよね、と思う。ゆえに、電子書籍版の110円は、安くて、いいなあ、と思う。

ということで「電子書籍」のことなんだけど、CDを買わなくなった音楽と違って、当面は紙の本を買い続けると思う僕は。CDは「値段が高すぎ!」と思っていて買わなくなったのだけど(主にラジオを聴くようになった)、本はCDと違って安い。アマゾンのマケプレでは1円(実は341円)の本がいっぱいあるし、古書店やブックオフにも100円の本がうなっている。で、欲しい本が無いのなら安くてもしょうーがないが、結構、そういう安い古本の中に探していたやつがあったりする。

電子書籍は公共的共有サーバー(電子図書館)に置いておいて、簡易に安価に参照させて欲しい(税金を投入してていいから)。過去、現在、未来の公開されたすべての印刷物を、その電子図書館に置いて全地球人に利用させてほしい。ああ、そうですね、印刷物に限らず、音楽や動画や静止画を問わずすべてのメディアを置いてほしいものですね。…なんていう欲求が僕は強いので、中途半端な電子書籍サーバーとリーダーでは満足できなくて(特に営利目的なやつはちょっと…)、不満が溜まるばかりなんで、まあ、自分の家に収納できる限りは本を買い続けるでしょうね。

電子出版に関しては、マルチメディアなデータをかなりの自由度を持って簡易に安価に公開できる現状がすでに実現しているので、出版(公開)したい人はぼんぼん出版(公開)すればいいじゃん、と思いますね。もう、できます、ってやつですよね。で、お金取ろうとするからややこしくなるだけでね。まあ、これは、音楽も映画も事情は同じだけどね。

ということで、『電子書籍の衝撃』読んでると、これからすごいことが起こるぞ、というよりも、もうできるんだからどんどんやったらよろしいがなぁ、っていう気持ちにはなる。電子書籍やら電子出版といったって、現在の書籍や出版物を、電子化しただけ(スキャンやらpdfやら○○フォーマットやら)では面白くもなんともない。場所をとらないとか、検索ができるとか、安価であるとか、課金しやすいとかも、既成なものとの比較にすぎない。一つ例を出せば、個人的なsiteやblogでの文字や画像や動画の公開とか、多数がアクセスするyoutubeやら2chやらへのアップロードというのは、言ってみれば「すべて出版」なわけで、もう、すでに始まっちゃっていることなわけです。そういう電子出版でインターネット出版なものが、「有料の書籍」という旧態依然な物、守旧物に似た形態をとる必然性なんてぜんぜん無いわけです。

たとえば、夏目漱石の『こころ』という本だと、

・初版本オリジナルはとても高価。
・青空文庫からだと無料。
・大手出版社の文庫本で新品なら380円。
・上記文庫本の中古品(比較的綺麗なもの)でアマゾン・マケプレなら1円(実は341円)、ブックオフや古書店のワゴンセールで100円以下。
・図書館は無料で貸し出し。

という形態に現在はなっていて、書籍という守旧物にこだわる限り(こだわる必要はぜんぜんありませんが)、これに「ネット有料課金版」が追加されるだけの話。初版本オリジナルの取引価格(高価)が「ネット有料課金版」の普及で変動するとも思えない。で、データや本物が無料かつ安価で手に入るものを、iPadで読めるからといって100円払う人がそんなにたくさん居るとは思えない。守旧物としての書籍の価値は、たとえば初版本オリジナル「書籍」の現物によって保たれていて、将来もずっと保たれる。データ出版が支配的になれば、守旧物としての「書籍」の売買価格は希少性で上昇すると思う(もともとたくさん印刷する必要がない)。守旧物としての「書籍」は高くて買えない人でも、その書籍データなら安価にいつでも入手できるというという状態が自然でしょう。

著作権ですか? 死後50年とか70年は長すぎなのでいかんでしょう。著作権だけの水上げのみで生活するっていうのも、旧時代的な制約なので、そういうのからは脱却してね〜。クリエーターに乗っかってる(あるいは担いでる)だけで儲けるという搾取的形態ももう古いんでやめてくださいね〜。

著作権料がないとクリエーターが食っていけない? ああ、自分の著作物で食べていけない、つまり未だ当たらないクリエーターは、働きましょうよ、労働しましょうよ、アルバイトしようよ。健康な人ならバイトすれば日本だと食っていけるよ〜ん。って、バイトしながら夢を追う、というのはクリエーターとして、昔から、ふつーなことなんですよね。成功した多くのクリエーターが最初はそうでしょ。

書籍データは、公共的共有サーバー(電子図書館)に置いておいて、画像やテキストデータをみんなで自由に安価に容易にアクセスすればいいだけのこと。既存の出版社連合のやり口を見てると、儲けを維持したいがために、守旧物「書籍」的な商売の思考からなかなか脱却できてない。そんなんじゃなくて、インターネットを使った電子出版っていうのは、もっと多様で濃密でぶっ飛びな展開が必然だと思います。そういう点ではわくわくしてますが…。

あとは、新聞と雑誌かな。書籍とはちょっと毛色が違う媒体ね。新聞と雑誌のインターネット配信。iPadが話題だけど、まあ、なるようになるでしょう。
| tomokazu2006 | 22:04 | - | - |
炎上な本
a.『近頃の若者はなぜダメなのか−携帯世代と「新村社会」』原田曜平(光文社新書 2010/1/16)新品:¥861 5中古品¥699より
b.『ウェブはバカと暇人のもの』中川淳一郎(光文社新書 2009/4/17)新品:¥798 16中古品¥244より
c.『今ウェブは退化中ですが、何か?−クリック無間地獄に落ちた人々』中川淳一郎(講談社BIZ 2009/12/18)新品:¥1,470 3中古品¥1,099より
d.『ウェブを炎上させるイタい人たち−面妖なネット原理主義者の「いなし方」』中川淳一郎(宝島社新書307 2010/2/10)新品:¥700 2中古品¥300より
e.『ネットの炎上力』蜷川真夫(文春新書 2010/2/19)新品:¥798 0中古品

現在のマケプレの値段なんだけど、うーむ、意外に1円にならないだね。まっ、出たばかりのやつもあるしね。ざっと、読んでみる。bについては、以前に書いた

aの原田は30代の若者であり、すなわち、若者が「近頃の若者はなぜダメなのか」と言っているのである。ネットの炎上とは関係がないが、ケータイを通じネットにはまり込んで身動きができなくなった若者を多く登場させている。読んで思ったんだけど、原田は、なぜ、「ダメな若者」を多く登場させるのだろうか。若年者だって中高年者だって、ダメなやつとそうじゃないやつが居て、あるいは、誰にでもダメな部分とダメでない部分があり…、なんてことを知っていると、原田がダメ人間を意図的に多く取り上げていることが分かる。正確に言えば、「原田がダメだと思う」若者を多く取り上げているのである。ということは、タイトルとしては、「ダメな若者の日常−ケータイと新村社会」のほうが的確だと思うが、「ちがごろの若いもんは…」という人類史上数千年来の文句と言われるキャッチコピーを持ってきて「若者に語らせる」という、営業センスを優先したのだろう。

b・c・dは同一著者のもので、内容も重複している。cとdの中身は同じようなものである。bを読んだとき、そのタイトルのキャッチーさに感心しつつも、ウェブは使いようで賢者と忙人の良きツールとなるのに…、とタイトルへの違和感を持ち、かつ、本の内容のB級へこだわりに辟易したものだった。そりゃ、高PV(高視聴率)を稼ぐにはB級が手っ取り早いけど、そうじゃないネット空間だって評価してよ、という気持ちだった。

で、cとdを今読んでいるんだけど、bよりはリキミが薄らいで読みやすくなり面白い。中川が言わんとすることの少しは分かった気がする。まあ、依然としてB級への強烈なこだわりが気になるのだが…。僕も、ミクシーとツイッターにあんまり魅力を感じず、時間を取られるばかりだ、という気持ちは中川に同意である。ネットにかかわりすぎて、ミイラ取りがミイラになるようになったら、ほんと、人生損すると思う。依存、罠、詐欺、煽情、過熱、…。ネットは非日常ではなく、日常と同様にネガティブとポジティブが交錯している。ネット内とネット外の否定と肯定が入り混じるのが、今居るところの現実であり日常である。

eもそうだが、c・dというのはインターネット上で起こっているユーザー多数を巻き込んむ現象を知るには簡便で便利。次から次への起こる現象をその時々にリアルタイムで体験・観察していたら時間がいくらあっても足りないし、実体験するのは無駄なことである。誰かが体験して報告してくれれば十分。2次情報で十分。っていうのが一人の人間が実体験できる1次情報量には限界があるので、それ以外の膨大な情報は2次情報に拠るのは当然。その点で、新書数冊、トータル数時間で、数年分の現象を知ったつもりになれる。本は偉大である。それと言うのも、中川、蜷川ともに、インターネット上の情報を毎日見て読みまくっている人だからである(仕事として)。まあ、そういうプロの頭の中の一部をエッセンスにして新書にしたもので、現象の羅列が主体とは言え(ところどころに著者のコメントが入る)、ざーっと読むだけど、この数年間のインターネット体験を総まくりした気持ちになれる。ああ、あれは、そういうことだったのね、ほう、そういうことがあったんだあ、ってやつである。

炎上が嫌なら、ネット上で発言しないことだし、発言しても、コメントやらトラックバックやらメールを受け付けないようにすればいいわけし(以前書いた)、それじゃ寂しいじゃん、っていうことならネットの外でつるんで、ネットを語ればいいわけだし、でも、上の本を読んでたら、「炎上もたまにもいいかも」と思えてきてしまうのが不思議。誰にでもある、野次馬根性をくすぐるんだよね、炎上ってさ。

僕が炎上で面白いと思うのが、A級に見えていたもの(あるいは見せていたもの)が炎上でB級化される現象。楚々とした美女がこけたら面白いってやつ。下が上になって、上が下になるという騒ぎには言いようもない魅力がある。そういうのは、野次馬であり、倫理的問題がある、という指摘、はいはい、当然です、当然です。倫理やモラルというフィルターを持ち出せば、必ず、倫理的じゃないものやモラルに反するものが出てきちゃいます。だって、フィルターだもの、倫理やモラルって。もし、インターネットの中に反倫理やインモラルなものが多すぎると感じるのなら、それは、自分自身のフィルターの性能の問題だと認識したほうが真理に近づけますね。反倫理やインモラルが自分には見えないようにするには、そのフィルター自身を工夫するしかない。あと、倫理だよモラルだよプンプンプンと、ちょっとお怒りな方に申し上げたいんですけど、そもそもの倫理とモラルをやめちゃったほうが、精神的には開放されるかもよ、怒らなくていいかもよ、と(笑い)。

ネットが「集合智」なのか「集合愚」なのかというのも、結局は、どっちもありの世界なんだけど、世の中には賢人より愚者のほうが多いとか、賢人には愚な言動は少なくて愚者には智な言動が少ない、ということからすると、ネットを含めた世の中というのは、「集合智」よりも「集合愚」のほうが多い状況だとは思う。ネットに智や愚を増強する作用があるのなら、「集合愚」が「集合智」に勝るということなのかもしれない。これは、悪貨が良貨を駆逐する、ということで昔から知られている現象ではある。

民主主義における集合愚として語られるのが、全員参加型の選挙結果である。選挙に参加しない(投票しない)人も勘定に入れた上での集合愚となる。投票にしない人というのは、無投票者としてこの全員参加型の選挙に参加しているとされるのだ。まあ、集合智として後世にて判断される歴史的な選挙結果もまれにあるだろうが、やはり、世の中には賢人より愚者のほうが多いとか、賢人には愚な言動は少なくて愚者には智な言動が少ない、ということからすると、選挙結果はおおかた集合愚だというのが真理だと思う。つまり、集合愚が支配的なのはインターネットだけのことではないのだ。

世間にしろインターネットにしろ、人間活動の結果なので愚もあり智もあるということであるが、集合的には智より愚が多いというか出てしまうというか、そういうことなんだと思う。で、社会とか群集とかネットっていうのは、そんな集合結果をどんどんコピーして増幅させる作用がある。愚者であってもたまに智な判断や言動が出るというのが人間の面白さと複雑さで、それをまぐれというか偶然というか奇跡というか、まあ、なんでもいいんだけど、集合的には、それが集合智としてたまに出てくるのはそういうわけである。集合智として後世にて判断される歴史的な選挙結果というのは、たぶんそういう作用なんだと思う。同様に、賢者の愚行もたまに出てくることは言うまでもない。猿もたまには木から落ちて、弘法もまれに筆をあやまるというわけである。

まあ、要するに、集合智というのはまれで、集合愚がふつうである、ということです。
| tomokazu2006 | 22:12 | - | - |
文庫本を買うか単行本を買うか、さらに文庫本にも種類が…。
単行本を買ってから程なく、同タイトルの文庫本が出ているのを見て脱力してしまったことは1度や2度ではない。とくに、単行本の新刊を購入後、ずっと読めないで(積読(つんどく)と言われる)、2年ほど経ったとある日に、同タイトルの文庫が再刊されているのを書店で発見したとき(表紙カバーのデザインが同じだったり…)、うーむ、この新刊文庫を買うかどうかで悩む自分に悩む(笑い)。単行本には無かった「解説」であるとか、「単行本を改訂」なんていう新編集の内容が気になってしかたがない。とにかく解説だけでも立ち読みしとくか、なんていう貧乏感覚が頭をもたげる。わざわざ文庫本を買って、持っている単行本を(かさばるので)売る、という「無駄」も頭をよぎる。単行本と文庫本の両方を持ち続けるというのは、やはり「無駄」である。そんなこと言ったら、出版された本の多くは図書館か大学か古書店にあるので、必要な時はそこで調達すればいい、という合理的な考えにも頷く僕であるから、悩みは尽きない。

最近、書店の検索端末を操作していて、こんな経験をした。とあるメジャー出版社のPR雑誌に、とある自社単行本の広告が載っており(新刊宣伝ページとは別のページの端っこに)、タイトルと内容要旨に惹かれるものがあり、購入するつもりでメモしておいた。次の月、大型書店に行ったおり、端末で調べてみたら、同書名の本がなぜか2件出てきた。1冊は該当の単行本(在庫あり)であったが、もう1冊は、次の月に発売される予定の同書名の文庫本であった。あぶねー、あぶねー、危うくメジャー出版社の在庫処分トラップにひっかかるところだった。書店端末の新刊予定データに感謝。次の月に、当該書名の新刊文庫本を、当然購入。それにしても、文庫本刊行のちょっと前に、自分のところのPR雑誌で同書名の単行本を宣伝するという、見え見えの在庫処分行為って、ばれちゃうと興ざめだよね〜。在庫処分広告なんて出さずに、もうちょっと地味にやってほしいいんだけど。新刊の文庫価格より安売りすれば、トラップにひっかかった人でもある程度納得するんじゃないかね。って、実際、アマゾンでは文庫が出ると単行本の中古相場は下がる(その前に最低価格の1円になっている単行本も多いが)。

小口研磨がらみでは、最近こんな経験もした。その本は、講談社にて単行本刊行(2003/10)後、講談社プラスアルファ文庫で再刊された(2007/4)。この文庫本は、近場の書店にもあるし、ブックオフでも見かけるし、丸善丸の内にも店頭在庫があるのだが、僕が何度か手にしたものはすべて研磨済みの再生本で(在庫のハケが悪いんだろうね)、研磨本は買いたくないので購入を見送っていたのだった。で、結局、店頭購入はあきらめ、マーケットプレイスでの研磨有無の事前問い合わせをしようと思い、アマゾンサイトの検索欄にて書名を入力したところ、なんと、同書名の本が、今度は講談社文庫で今月新刊されていた(2010/1)を発見したのだった。早速、近場の書店に電話して講談社文庫版を取り置きしてもらった。入荷後、まだ1週間ほどだったので、近場書店での店頭在庫はまだ残っていた(新刊なので研磨無)。

単行本→講談社プラスアルファ文庫→講談社文庫

という遷移は、頭に入れておかねばならない。さらに、最近、認識を改めたのだが、宝島社では、こんな遷移もあって注意を要す。

隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!(別冊宝島281)1996/11

隣のサイコさん―「いっちゃってる」人びとの内実(宝島社文庫)1999/11

新装版 隣のサイコさん―「いっちゃってる」人びとの内実(宝島社文庫)2005/12

ザ・風俗嬢―これが私たちの生きる道!(別冊宝島325)1997/8

ザ・風俗嬢―これが私たちの生きる道!(宝島社文庫)1999/8

新装版 ザ・風俗嬢―これが私たちの生きる道!(宝島社文庫)2005/12

精神病を知る本―狂気と理性をめぐるあなたのまなざしが変わる(別冊宝島53)1986/6

精神病を知る本(宝島社文庫)1999/10

新装版 精神病を知る本(宝島社文庫)2007/5

A5版で毎月出ていた頃(1976〜90)の「別冊宝島」(「宝島社」に変わる前の「JICC出版局」時代)を、当時、僕は、たまに買っていて、何十冊か溜まってじゃまになったので処分した(捨てた)ことが以前にあった。近年、「宝島社文庫」のタイトルで気になったものがあり、いくつか入手しているうちに、かつての「別冊宝島」を文庫版にして再刊しているものがあることに気付いた(その旨のコメントが文庫本末尾に印刷してある)。で、実際に手にして比べてみると、「別冊宝島」から画像を削除して、内容を少し改訂して文庫化しているのだった。さらに、「宝島社文庫」のものを少し変えて「新装版」と称して、文庫版を再刊(増刷)していることも分かった。「新装版」って、表紙ジャケットのイラストを変えてるくらいしにしか見えないんだよね。なんだかね〜。

そりゃね、地味な増刷よりも、新刊で再刊したほうが消費者の目に触れやすく、流通にも乗りやすいので、旧版の増刷じゃなくて、ピカピカの新刊本として出すという販売戦略は分からなくはないけど、3回ダシを取る局面で、1回目に使った「ダシの元」をあと2回も使ってダシを取りつづけるというのは、なんだかな、と思いますね。2回目、3回目のダシがどんどん薄くなって不味くなるのは当然だよね(混ぜ物しても不味いのだよ)。まあ、出版社としては「手間のかからない楽ちんな新刊」ってことなんでしょうね。安易な出版事業だよね〜。

さて、再生本「宝島社文庫」、タイトルによっては、20年も前のオリジナルの「別冊宝島」のほうが図版や写真が豊富であることが比べてみて分かっている。A5版のムックをA6版の文庫にするんだから、どっかを相当削っているわけで、その主たるものは図版と写真だということです。よって、オリジナルの「別冊宝島」をマケプレとかで安く手に入れたほうが面白く読めると思うね。「宝島社文庫」は研磨本も多い。「別冊宝島」だってペーパーバックのムック本なので無神経に醜く研磨して並べている古本屋も少なくない。まあ、そういう悪条件をかいくぐって満足のいくアイテムを探すのが、まあ、面白いね。

ということで、「宝島文庫」の場合、オリジナルな「別冊宝島」を入手するのが、コレクション的には正当でしょう。ところで、この「別冊宝島」、ものによっては数千円出さないと買えないものもあるみたいですが、さいわいにも、僕が検索するタイトルは1円とかで安価なので、ついクリックしてしまいそうになります(笑い)。
| tomokazu2006 | 22:34 | - | - |
アマゾンで小口研磨の本
アマゾンのマーケットプレイスで注文出す際に、「小口研磨」のない本が欲しい旨のメール。注文クリックの前にメール(出品者に連絡する)で事前に問い合わせ。アマゾンサイト画面からのウェブメールなので、コピペとクリックでどんどん送信する。1円などの低価格出品者に絞ってメールを出すんだけど、それでも注文一冊につき5・6通出す。結局、そういうたくさんある低価格出品のどれを注文すればいいのかの判断基準を「研磨の有無」でやっているというわけだ、僕の場合は。コピペでいい気になってどんどんメールを出していたところ、なんと、アマゾンのメール制限にひっかかって出せなくなってしまった。最初は、10通くらいで。その後、5通くらいで。表示されたメッセージによれば、1日に出せるメール数を超えたとのこと。うーむ、10通やなんかで制限かけるって、少なすぎでは? まあ、いい、時間をおいて、ぼつぼつ出すことにする。制限解除は、1日おかなくても、半日くらいでまた出せるような印象。

以下の出品それぞれに問い合わせメールを出す。総数で100通くらいか。返信は、だいだい8割くらい返ってくる。そうやって事前に確認をとって注文したのに、2冊は小口研磨してある商品を送ってきた。もちろん、返品で返金である。返品は、ゆうメールにしろ、クロネコメール便にしろ、「受け取り辞退」で返送すれば、こちらからの送料がかからない。その旨を書いた紙を貼ってポストに投函するか、局や集配所に持参して「受け取り辞退」を申し出ればよい。少数ではあるが、こちらが言う「小口研磨」の何たるかが分からない出品者が居るということが分かったので、小口研磨本の研磨小口を拡大撮影し、参照URLを書いたメールを送ることで誤解が生じないようにした。

マケプレにて、非常に手広く商売をやっている業者的な出品者に中には、「小口研磨」問い合わせメールに対して返信してくれないところや、現物確認できかねます(小口研磨してあるかもしれません)との返信がある。また、「小口研磨」自体の認識が当方とずれていて、「してある」「してない」のメールの往復もある(現物を見れば明らかなのだが…)。8割がた、丁寧な返信内容なので、めんどうだけど、問い合わせしたほうが、「小口研磨無し本」を確実に手に入れられる。問い合わせメールに対して、現物外観の細部拡大画像をめんどうがらず送ってくださる親切な出品者も居るので期待して良いと思う。1円出品の本に、これほど丁寧な対応をされると頭下がる。

発行 定価 出品価格 送料 合計
a. 文春文庫 1997/05 620 158 340 498
b. 文春文庫× 1997/05
c. 文春文庫 2001/05 620 246 340 586
d. 文春文庫× 2001/05
e. 角川文庫 2000/07 420 100 340 440
f. ちくま文庫 2001/11 777 1 340 341
g. ちくま文庫× 2005/09
h. 新潮文庫 2001/10 420 1 340 341
i. 新潮文庫 2002/08 820 200 340 540
j. 新潮文庫 2004/11 380 1 340 341
k. 講談社現代新書 2002/09 735 150 340 490
l. 幻冬舎新書× 2009/09 798 798 0 798
m. 中公新書ラクレ 2003/05 798 90 340 430
n. 洋泉社新書y 2006/03 882 384 340 724
o. KAWADE夢ムック 2004/08 1200 1 340 341

上記、×印が研磨本である。b・d・gは、事前にメールで小口研磨無しを確認したのに、小口研磨本を送ってきたもの(返品、返金)。新書lは、マーケットプレイスではなく、アマゾンの新品注文である。発行から3か月しか経ってないので小口研磨無しを期待したが、期待が外れてしまった。もう2度とアマゾンには注文しない気持ちになる。アマゾンでの書籍新品注文は、事前の問い合わせを受け付けないし…。

まあ、あとは、文庫本なら、元になったハードカバー本(オリジナル)が1円で出ていることも珍しくないので、大きくてかさばるのが気にはなるが、ハードカバー本のほうを入手するのも一つの手ではある(ハードカバー本での小口研磨は見かけない)。

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×パルタイ(新潮文庫)倉橋由美子 (1978/1)¥420
2点が小口研磨なしで1円だが、ヤケがひどいので保留。

↓発送前にキャンセル
×ザ・フェミニズム (ちくま文庫)上野千鶴子(2005/9)¥714
¥180+¥340(配送料)
別のやつは、250円(+340)円=590円でちょっと高いので保留。

↓新刊3か月なのに早くも小口研磨(後日、店頭で無研磨本を買い直す)
×うつ病の脳科学―精神科医療の未来を切り拓く(幻冬舎新書142) 加藤忠史 (2009/9)¥798
amazon新品

○ホームレスになった―大都会を漂う(ちくま文庫)金子雅臣(2001/11) ¥777
¥1+¥340(配送料)

○精神科にできること―脳の医学、心の治療(講談社現代新書1625)野村総一郎(2002/9)¥735
¥150+¥340(配送料)

○精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史(新潮文庫)松本昭夫(2001/10)¥420
¥1+¥340(配送料)

○精神病棟に生きて(新潮文庫)松本昭夫(2004/11) ¥380
¥1+¥340(配送料)

○ドキュメント精神鑑定 (新書y150)林幸司(洋泉社 2006/3)¥882
¥384+¥340(配送料)

○なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて(中公新書ラクレ88) 苅谷剛彦 (2003/5)¥798
¥90+¥340(配送料)

○春雷―海峡・少年篇 (新潮文庫) 伊集院 静 (2002/8)¥820
¥200+¥340(配送料)

○北朝鮮に消えた友と私の物語(文春文庫) 萩原 遼 (2001/5)¥620
¥246+¥340=合計¥586

↓返品で返金
×北朝鮮に消えた友と私の物語 (文春文庫) 萩原 遼 (2001/5)¥620
¥251+¥340(配送料)

○私の岩波物語 (文春文庫) 山本夏彦 (1997/5)¥620
¥158+¥340(配送料)

↓返品で返金
×私の岩波物語 (文春文庫) 山本夏彦 (1997/5)¥620
¥300+¥340(配送料)

○美と共同体と東大闘争 (角川文庫) 三島由紀夫 (2000/7)¥420
¥100+¥340=¥440

○青木雄二 (KAWADE夢ムック文藝別冊)出書房新社(2004/8/18)¥1,200
¥1+¥340(配送料)
| tomokazu2006 | 22:42 | - | - |
東京にて丸善とブックオフ
17日と18日が東京。17日の夜、毎月の定例会議。18日はオフ。いつものように田町で宿泊。前回のようなケータイにまつわる事故は今回はなしで良かった。

先月11月に開店したブックオフ池袋に行ってみる。かなり大きい部類の店舗。JR池袋からサンシャイン60方向へ少し歩く。あの変な斜め道。うーむ、池袋って10年ぶりくらいかなあ。地図見ると、ああ、立教大学はこのあたりなのね。JR池袋の西口に武デパートがあり、口に西武デパートがあるのが「反対ちっく」やね。

ブックオフまで5分ほど歩かねばならぬのがちと疲れる。探している小口研磨なし本の5、6冊のうち、1冊を発見。こんなに大きい店舗なのに1冊のみとはちょっと期待はずれ。でも、なんだかんだで予定外のものが増えて13冊も購入。見た目新しいものが多く、目移りした。ただし13冊とも105円本に非ず。前日は、秋葉原ブックオフで5冊だが、こちらは2冊が105円本。新しい店では新しいものが目立つ(やや高価)、ということか。

調べてみると、このビルのこのフロア、ブックオフ進出の前は「HMV池袋サンシャイン60通り」店だった。HMVは駅の反対に「HMV池袋メトロポリタンプラザ」店があり、それは今でも営業している。「HMVが日本での店舗展開を縮小する」という記事を以前に見たが、ここがその一つだったのだ。新品CD屋が撤退して、中古CD屋が進出するという今風の典型的な構図ではある。僕も、CDを買わなくなって、もう、何年にもなるなあ。

その後、丸の内丸善で書籍を渉猟。4時間ほどかかる。前回パスした「丸善×松岡正剛プロデュース「松丸本舗」がまだたたまれてなくて、せっかくだからと無理して見学。こういう並びでは目移りするばかり、時間がたつばかり、買えないなあ。あと、当日は、当店にての「『働かざるもの、飢えるべからず。』刊行記念 小飼弾先生×スマナサーラ長老 講演会」の開催日で、なんか入場できそうな雰囲気だったけど、まだ、買い物が完了せず、時間が無かったのでパス。
| tomokazu2006 | 20:08 | - | - |
ヤフー・オークションにて久しぶり入札
ヤフオクに、久方ぶりで入札。

1.『学習版「資本論」』(宮川實 あゆみ出版 1977-82)全9冊 販価11440円 150×210×15〜25mm/3.8kg
2.『「新明解国語辞典」初版第1刷』(山田忠雄 三省堂 1972 白) 販価1000円

1は4700円、2は3200円にて終了。1は僕が4700円まで上げた。2は他人が3200円まで上げた。似たような2人の入札者による争い。

1については、5000円まで入れようかなと思ったけど止めた。なかなか出品されないものだけど、またいつか出品があるだろうという思いから。本の状態からして僕は3000円くらいで落札したかった。もうちょっと状態の良い9冊セットが8000円だったかで神田神保町の古書店にあったのを数年前に見たことがある。8000円、そりゃ高いでしょうという値段だ。ヤフオクで安く買わないとね。

「資本論」の各出版社版セットは、ヤフオクでよく見かける。豪華版、記念版、単行本、文庫、新書、いろいろ見かける。戦前の高畠素之(改造社版)のものもコンスタントにぽつぽつ出品されている。箱入りの非常に状態の良いものもある。セット価格の相場は、高くて4000円、安いと2000円くらい。資本論の並本なんて、希少品でもなく、コレクター向けのアイテムでもないのだが、たとえば大月書店の合本版(1冊本 1982年)は持っておきたい人がそれなりに居るんじゃないかと思う。合本版は、この数年で数回の出品を僕は見かけた。文庫や新書で10冊以上、単行本でも4冊、5冊になる大部な「資本論」を2段組の縮小印刷で1冊本にした逸品である。もちろん大型本である。いったいどんなものなのか、実物を一度見てみたい人も少なくないのでは、と思う。で、大月書店合本版同様に、この『学習版「資本論」』(あゆみ出版)の出品も非常に少ない。マイナーな翻訳者とマイナーな出版社の組み合わせなのでさほど売れなかったのだろう。ただ、内容的には良心的と思えるので、僕は持っておきたいと思っているのです。できれば、全9冊セット3000円で(笑い)。実は前のほうの5冊はすでに所有している。

2は、1よりもヤフオクでは見かける。初版第1刷は、多少状態が悪くとも、どうしても欲しかった。状態が良いものは1万円を超えることがあるけど、今回のは箱無し、ビニールカバー無し、セロテープ修理有りのものだったので、さほどの入札や高騰もないとふんだ。思い切って5000円を入れておいたが、2000円スタートの3200円で止まってくれたのでやれやれ。おめーが吊り上げなければ2000円で買えたのによぉ…なんてわがままで勝手なことを思うが、それは1でも同じ。僕が吊り上げなければ彼は開始価格の1000円で落札できたかもしれない。

さて、捕獲した1だが、状態は良くないとは言え、僕が生徒時代に使いふるして現在も持っている初版(青)よりずっと状態の良いものだった。まず、表紙に割れが無くまあまあ綺麗で、書き込み無し。セロテープ修理も1ページのみ。良い良い。

「新明解」の「初版第1刷」がコレクターの所有欲をくすぐるのは、いわゆる「初版本」という古書特有の有難みももちろんだが、実は、その後の刷で変更された箇所が多いのが、「新明解」初版初期刷りの特徴なのだ。つまり、「初版第1刷」は修正前の無修正版なのである。第1刷出版の際は、かなりの突貫作業だったとのこと。山田忠雄の作業への粘着性と執拗さが突貫作業に拍車をかけたのは容易に想像できる。この間の事情は、『明解物語』(武藤康史 三省堂 2001)にて、辞書担当だった三省堂編集部の三上幸子が武藤のインタピューに答えつつ詳しく述べる。出版後も誤植やら差別語の訂正で大変だったとのこと。第2版の発行が2年後の1974年で、改訂間隔が通常より短いのはそのあたりの事情を物語る。その後、『国語辞典にみる女性差別』(三一新書 1985)なんていう本も出て、山田忠雄も批判される一人になっている。

ということで、「新明解」の初版初期刷り、とりわけ第1刷は、ぼろぼろでもいいので所有したかった一冊なのです。良い値段で落札できて良かったです。

ところで、「新明解国語辞典」の第3版以降は、ヤフオクでもよく出品されている。人気で高騰するのは第4版第1刷「革装」で、新品に近いものなら今でも1万円前後まで上がる。第4版で有名になった動物園語釈は第6刷以前の初期刷りのみであり、このことを知っている人なら、第3版じゃなくて第4版で、さらに第1〜6刷を良価格で落札する。そういうようなコレクターが探してるやつじゃない「新明解国語辞典」は、巷にあふれているので高く買うのは賢くない。全国の高等学校で盛んに採用され始める(推薦図書になる※)のが第3版とか第4版からで、それ以降「新明解国語辞典」は大量に印刷されて販売された。したがって、状態が並以下の第3版、第4版、第5版、第6版は安価なものが多い(というかただで入手できたりする)。まあ、初版や第2版にしても、ぼろぼろで状態が悪ければ、安値しか付かない事情は同じ。箱がちょい傷で本体が新品同様な第5版第1刷を僕は105円で買ったし(ブックオフにて)、自治会の廃品回収で近所を回ったときにだって第5版が何冊か出ていたのを今年になってから見ている(もちろん綺麗なものはガメる(笑い))。高校入学時に買ってもらったはいいが、あまり使わずに綺麗なままで廃品回収に出しているのが散見されるのだ。2005年に出た最新の第6版も、その他の教科書とともに廃品で出される時期をもう迎えていると思う。

※高校での推薦図書を考えるなら、標準的で無難なものを推薦すべきだと思う。国語辞典なら、「大辞林と三国」(三省堂)か「広辞苑と岩国」(岩波書店)ということになろう。山田忠雄の「新明解国語辞典」は、簡便で大人しい編集方針を旨とする見坊豪紀(元上司)の「明解国語辞典」と「三省堂国語」(したがってジミ)に対して、山田自身の猛烈な対抗意識と偏執・粘着気質でぶち上げた一種の「イロモノ」辞書(とは言っても辞書史上画期的)なのであって、この辞書を標準的な推薦図書とするには適当でない、と思う。「イロモノ」辞書は「イロモノ」効果が抜群であれば、マスコミ受けが良いので、そのうち話題となって売れまくる。売れるのは、ジミじゃなくてイロモノなんだよね、やっぱり。もちろん、高校生も買う。先生も買う。「新明解国語辞典」は、そういうイロモノ国語辞典である。ゆえに、画期的。

http://blog.takahashi.org.uk/archives/712
2009年5月14日
入手した辞書は1989年の「第4版第1刷」。現在最新版は第6版なので、わざわざヤフオクで古本をゲットした。定価2300円なのに3000円近く払っているのは秘密である。だがこの辞書はこの4-1以降、版や刷を重ねる毎に表現がおとなしくなっているというので、プレミア的にわざわざこの版・刷を探したというわけだ。
続きを読む >>
| tomokazu2006 | 21:23 | - | - |
「ブックオフオンライン」で本を買う
「ブックオフ」という名前のリアル店舗があって、またインタネーット上には、「ブックオフ オンライン」と「イーブックオフ」の別々のサイトがあって、さらにアマゾンのサイトには、「イーブックオフ アマゾン店」という名称が見られる。調べると、それぞれの違いは分かるのだが、最初はまぎらわしいなあ、と思った。

「ブックオフ オンライン」で5冊注文した。というのも、それらの本を、当初アマゾンのマーケットプレイスで主に1円出品本を選んでカートに入れてみたところ、手数料が1冊あたり340円であるがゆえ、合計金額が1500円を超えたのだった。「ブックオフ オンライン」だと、本代で1500円以上は送料が無料になるので、もしやと思い「ブックオフ オンライン」で検索し、合計金額を出してみたところ、アマゾンのマーケットプレイスよりトータルで400円ほど安かったのだった。で、「ブックオフ オンライン」に注文。

送られてきたのを見て、ちょっとがっかり。まず、僕が間違えていた(自己責任)。1冊は文庫本を注文したつもりだったのに、送られてきたものは大きくてかさばる単行本だった。アマゾンのマーケットプレイスでの文庫本(講談社学術文庫)より安かったので、単行本だとは思わなかったのが本失敗の元。ちゃんと確認してから買わねば…。

あと、5冊とも文庫と新書のつもりで発注し、小口研磨が来ないように祈っていたのだが、2冊が小口研磨本だった。がっかり。嫌な小口研磨が送られてくるのは、もう、何度も経験しているので、やっぱり、質問・確認してから注文しようと思う。
| tomokazu2006 | 20:10 | - | - |
ついに上梓、だそうだ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51321539.html 2009年11月16日00:05
ついに上梓です。

「上梓」(じょうし)というのはどういう素性の言葉なのかご存知だろうか? 「上木」(じょうぼく)という言葉もあり、意味にさほどの違いはない。「上木」は、府川充男が作ったページで最近見かけた。

その昔、書物は木版印刷であり、一枚板(いた)に紙面分の文字を彫って、版画のように印刷していた。この一枚板を版木(はんぎ)と言う。版木の素材としては、古くは梓(あずさ)が使われ、その後は桜(さくら)や黄楊(つげ)が使われるようになった。そういう状況だったので、当時は、書物を印刷して世に出すことを「上梓」「上木」と表現したのである。現代の出版で版木を使うことはめったにないが、古き良き表現や言葉が好きな人は、「上梓」「上木」を未だに使っている。

本書で扱う命題は、ただ一つです。それは、社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。ということです。(中略)働かざるもの、食うべからず これはすなわち、社会のために犠牲を払ったものだけが、社会から糧を受け取る資格があるということです。あまりに当たり前に聞こえるこの標語ですが、もしこれが正しいとすれば、人は社会のためにあるのであり、社会が人のためにあるのではないということになります。

うーむ。社会は人のためにあるのであり、かつ同時に、人は社会のためにある。真相はそうでしょう。

その社会至上主義から脱却し、本来の民主主義、あるいは人主主義に戻すには一体どうしたらよいか。それを考え続けた結果、私は意外な答えにたどり着きました。社会を豊かにした方が、個々人を豊かにするより、人は豊かに生きられる

うーむ。「社会を豊かにする」→「人は豊かに生きられる」。このような一歩通行こそ、「社会至上主義」と言われたりしないのか。「社会が駄目になった」→「人が駄目になった」みたいにね。やはり、

「社会が豊か」→「人が豊か」
「人が豊か」→「社会が豊か」

の双方向、相互作用が真相だと思います。来週の11月25日発売予定。とりあえず、最寄の本屋に予約するつもり(ということはまだ読んでいない(笑い))。
| tomokazu2006 | 14:31 | - | - |

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